七宝焼 花瓶 6寸並形赤透け カトレア
主に金属工芸で用いられる、伝統工芸技法、「七宝焼」による花瓶です。
カトレアの花をモチーフに、美しいルビー色でを主体に仕上げられた美しい作品です。
本作品は、尾張七宝の伝統を今に引き継ぐ、「加藤七宝製作所」による作品。
尾張七宝は、伝統的な有線技法や本研磨技術など、先人が築き上げた歴史と技を基本とし、愛知県は七宝町を中心としてつくられる七宝です。
尾張七宝では、有線技法を用いています。
有線技法とは、図柄の輪郭線に沿って細い線状の金属を文様の輪郭線に用い、その中に釉薬を挿し焼成するやり方で、金属線が繊細な図柄を引き立たせます。帯状の銀線を立て、色の境目を区切り、図柄の輪郭を表現する技法。
有線七宝の製作技術は、時代と共に細密化していき、職人にはより高度な技術と習熟が必要とされるようになりました。明治末から大正初めに技術的な頂点を迎えたと言われており、現在では再現も難しいような、極端に細密な文様、そして鮮やかな色彩の作品が生み出されてきました。
日本の七宝焼は、明治末から大正初めの頂点を境に、その他の日本の伝統工芸品と同じく、日本の工業化が進展するにつれ廃れていきました。
そんな時代の流れにあり、一生産者として、魅力ある製品を創ること。そして、その魅力に触れ、感じていただくこと。
長い年月をかけて磨き上げられた伝統を守り、そして育てて行く。
そんな理念を抱き、加藤七宝製作所は、長年培われた尾張七宝の技をもって、常に新しい“七宝のカタチ”を模索しています。
モチーフとなっているカトレアは洋蘭の一つで、最も有名な洋蘭です。洋蘭の女王とも言われています。その美しい花びらが特徴。
花言葉は「優雅な女性、魔力、成熟した魅力」
尾張七宝の伝統色である「赤透け」をバックに、花びら香るような華麗さ、しなやかさが表現されています。
長年培われた素晴らしい伝統技術を絶やすことなく、後世に引き継いで行こうと言う職人のひたむきな努力の結晶です。
七宝焼とは、金、銀、銅、鉄、青銅などの金属製の下地の上に、ガラス質や鉱物質の釉薬を被せ、摂氏800度前後の高温で焼成し、融けた釉薬によってガラスやエナメルの美しい彩色を施す技法です。
七宝焼の名前の由来は、宝石を材料にして作られるためという説と、仏教において貴重とされる七種の宝を指す七宝ほどに美しい焼き物であるとしてつけられたという説があります。
七宝焼の歴史は非常に古く、起源は、紀元前の中近東で生まれたものと言われています。これがヨーロッパからシルクロードを通り、中国を経て日本に伝わったと言われています。
日本に七宝焼が伝わったのは、6・7世紀頃と言われています。日本に現存する最も古い時代の七宝としては、裏面に七宝が施された鏡が奈良 の正倉院に保管されています。日本において七宝が盛んに作られるようになったのは、17世紀になってからのことで、京都の平田道仁が、江戸時代初期に朝鮮半島の工人に七宝の技術を学んだと言われています。
当時の日本では刀装具に使われたり、城や寺社仏閣などの釘隠し、襖の引手などの装飾に使われましたが、その技術は平田家の秘伝であり、万人に広まることはありませんでした。江戸時代後期になって、尾張の地で梶常吉が独学で七宝の技法を解明し、「近代七宝」が始まったとされています。以降七宝は尾張で盛んに制作されるようになり、幕末には尾張の特産品として認識されるまでになります。
そして現在、愛知県には七宝焼に由来する“七宝町”という地名が存在しているほどで、その技術はこの地を中心に神奈川・東京・京都などに広がり、七宝づくりの伝統が受け継がれています。明治時代に入ると、日本において透明度の高い釉薬が開発され、また、並河靖之、涛川惣介という帝室技芸員にもなった人物の登場により、日本の七宝は花開き、1900年のパリ万国博覧会でも称賛を受け、他に類をみない独自の美術工芸品にまで高められました。
[出典]加藤七宝製作所