ヴェネチアガラス オブジェ 彫刻 ピカソ像
( Venetian Glass Picasso Head Sculpture )
卓越した技術と伝統とアートの融合です。
イタリアは、ムラノ島の伝統ガラス工芸「ヴェネチアガラス」のガラス工芸マスター、ウォルター・ファーラン ( Walter Furlan ) によって制作された、ピカソをモチーフにしたガラス彫刻です。
ブルーにレッド、イエロー、ブラック、クリアと多彩な色構成。鮮やかな色合いをガラスマテリアルで表現しています。
ウォルター・ファーランは、1931年にヴェネチア近郊で生まれました。幼い頃からガラス工場で働き始め、第二次世界大戦の終わりに、ジーノ・セネディス(Gino Cenedese)のガラス工場に加わります。ヴェネチアガラスの巨匠と言われるアルフレッド・バルビーニ ( Alfredo Barbini )や多くの古い職人たちのアシストをしました。
ファーランは、世界的に有名なママラシオ、ジーノフォルテ、フラヴィオポリにより開発されたムラノのガラス製造技術「マセロ」スタイルを使用してガラスを彫刻する技術を学びました。この技法は、純粋な水晶の彫刻に、色を注入し、明るさ、鮮やかな色、パワーを与えます。
また、若いうちに名工となったファーランは、多くの芸術家と接触。ピカソもその一人です。
ファーランは、彼自身の作品で他の展覧会に参加する機会があり、そこでマスターデザイナーとしての認知と評価を得ていきました。1963年、彼の作品がIstituto Veneto per ilLavoroが主催するMuranoGlass展で展示されたとき、再びピカソに会いました。
1970年代初頭、ファーランは、Maestro AngeloSegusoとデザイナーのMarioPinsoniの指導の下、Seguso Vetrid’Arteガラス工場に加わりました。彼は、当時セグソ・ヴェトリ・ダルテで働いていたファビオ・ポリ教授の典型的なデザインである、水中ガラスと様式化された形の技術を学びます。ピカソのインスピレーションが現実のものとなったのはこの時です。1977年に国際ガラス学校主催の「芸術家のための最初のコース」に参加し、この機会にピカソ、ホルスト・ソボタ、レンゾ・マルゴナリ、ギッベの作品を発表し、彼の優れた表現能力と多様性を証明しました。
このファーランのガラス彫刻で表現されたピカソの魅力的な芸術作品は、彼の古い巨匠との仕事の期間中に得られた経験によって示されています。彼は彼のキュービック時代のピカソの絵画を解釈し、それらに三次元を与えました。色は鮮やかで、作品は非常に立体的です。まるでピカソが自分で彫刻したかのようです。パブロ・ピカソのアートワークの素晴らしい解釈と言えます。
ファーランの作品は、彫刻ガラスを専門とする質の高いイタリアの美術館で見つけることができます。
ヴェネチアガラス(VENEZIAN GLASS)
ヴェネチアガラスは、700年以上もの歴史と伝統を今に伝えています。もちろん、その名のとおり中心地がイタリアのヴェネチアであることは言うまでもありません。中世のヴェネチアは、世界貿易の中心となる過程で優れたイスラムのガラス芸術吸収することにより誕生しました。
ヴェネチアガラスを”ムラノガラス”とも呼びますが、ムラノとはヴェネチア本島から北東約1.5kmにある島で、ここでガラス製造が集中して行なわれていたため”ムラノガラス”とも呼ばれています。ここもあの有名なスワロフスキーと同じようにその製法の秘密を守るためにヴェネチア本土からこのムラノ島に工房を移転したのだといわれています。
ムラノ島で制作されるガラス芸術は15世紀には 高級工芸品として価値を持ち始め16世紀には、ヨーロッパ全土で広く受け入れられ、流行していきました。ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」は、12人のムラノのマエストロ(職人)がヴェネチアから連れ出されて製作したといわれています。
こうしてその名をヨーロッパ全土に広めたヴェネチアガラスは、主に貴族や富豪のために特別に注文されたテーブルウエアを製作するために、大きくそのスタイルを発展させました。 そして、アイスクラック、ダイヤモンドポイント彫り、レースガラス、クリスタルなど多彩なカットの技法が次々に生み出されました。近世では、ガラス文化をヨーロッパ全土に広め、一時はヨーロッパ市場の90%を占有するほど成長しました。
そして現在、熟練したマエストロ(名人)達は息子からそのまた息子へとこの技術を伝承し、昔と変わらぬ伝統の技を活かしながらヴェネチアガラスは創り続けられています。機械での大量生産では出せない本物の味わいがそこにあります。
[出典]1stdibs.com
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