七宝焼 尾張七宝 花瓶 茄子紺地山鳩に桜の図 明治期
明治時代の至高に高められた技術の粋が光ります。
有線七宝の代表格、尾張七宝の花瓶作品。明治期に作られイギリスより里帰りした希少品です。
王道の茄子紺地に、山鳩と桜が精緻に丁寧に描かれています。
シャープな銀植線で仕立てた作品。丁寧に製作された明治七宝の優品です。
尾張七宝は、天保年間(1830~1844年)、尾張国の梶常吉が、オランダ船により輸入された七宝の皿を手がかりにその製法を発見し、改良を加えたのが始まりとされています。一般に焼物といえば、陶磁器のように土を成形して焼き上げますが、七宝焼は、銅又は銀の金属素地を用い、その表面にガラス質の釉薬(ゆうやく)を施し、花鳥風月、風景などの図柄をあしらったところに特徴があります。特に図柄の輪郭となる部分に銀線を施す有線七宝は尾張七宝の代表的な技術です。
有線七宝とは、図柄の輪郭線に沿って細い線状の金属を文様の輪郭線に用い、その中に釉薬を挿し焼成するやり方で、金属線が繊細な図柄を引き立たせます。帯状の銀線を立て、色の境目を区切り、図柄の輪郭を表現します。
七宝焼は主に金属工芸で用いられる、伝統工芸技法。
金、銀、銅、鉄、青銅などの金属製の下地の上に、ガラス質や鉱物質の釉薬を被せ、摂氏800度前後の高温で焼成し、融けた釉薬によってガラスやエナメルの美しい彩色を施す技法です。
日本において七宝が盛んに作られるようになったのは、17世紀になってからのこと。
明治時代に入ると、日本において透明度の高い釉薬が開発され、また、並河靖之、涛川惣介という帝室技芸員にもなった人物の登場により、日本の七宝は花開き、1900年のパリ万国博覧会でも称賛を受け、他に類をみない独自の美術工芸品にまで高められました。
明治期の日本の七宝作品は、その精緻さと質の高さから、当時から世界の七宝作品の歴史の中でも最高の到達点に達したと評価されてます。
[出典]CRAFTS DESIGN SHOP
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